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2007年07月05日

京葉線「八丁堀駅」コインロッカー

京葉線八丁堀駅は東京駅から一駅、快速と各駅停車、武蔵野線が停まります。

八丁ほーむ0.JPG八丁ホーム.JPG

朝、夕のラッシュ時は東京メトロへの乗り換えもあってかなり混雑します。
ホームから改札までは、階段orエスカレーター2回分。

八丁階段.jpg八丁エス-2.JPG

二度目のエスカレーターの方が短い。
しかし、かなり長い距離があります。
改札がある階のトイレ近辺にコインロッカーがあります。

八丁ロッカー.JPG
八丁ろっかー小.JPG八丁ロッカー大.JPG

小ロッカー 30個、中ロッカー 15個。
改札の中にあります。

八丁改札.JPG

改札をでて、まわりを探しましたが他にはないようです。
なぜか「八丁堀駅スタンプ」を発見。

八丁スタンプ.JPG

改札をでて左側が、東京メトロ「日比谷線八丁堀」駅方面です。
ちょっと歩きますが、東京駅の乗り換えよりは歩きません。

八丁-0.JPG

ここをまっすぐ。

八丁-1.JPG八丁-2.JPG

この階段を上ってすぐ右手が、東京メトロ日比谷線「八丁堀駅」の切符売り場と改札です。
銀座、六本木、広尾方面。秋葉原、上野方面も東京駅乗換えより便利です。

日比谷線.JPG

地上の駅入口はこんな感じです。

八丁入口.JPG八丁入口下.JPG

八丁堀駅近辺はこちらをご覧ください。

2006年09月01日

八丁堀といえば、江戸時代の与力・同心組屋敷

八丁堀といえば、時代劇の捕物帖でおなじみ
「八丁堀の旦那」と呼ばれた、江戸町奉行配下の
与力・同心の町として有名。

京葉線「八丁堀駅」を東京よりに出て
交差点を渡った、右手に京華スクエアがある。
そこが与力同心組屋敷跡として説明板がある。

与力同心.jpg

広い道路を隔てた反対側が
あの江戸前期の豪商、紀伊国屋文左衛門の居住地だった。
宝永・正徳の人で高名の富豪で紀文大尽と称され、
本八丁堀三丁目全域を屋敷にしたという。
現在はそんな面影もなにもありません。

紀伊国屋.jpg

せっかくなので、少し歩いて松平越中守の屋敷跡へ。
しかし、ここも何にもなし。
江戸時代に松平越中守の屋敷前に架けられ「越中橋」と呼ばれた
久安橋が名前を変えて残っているだけ。

久安橋.jpg

そして上野佐竹(三味線堀)、芝日蔭町とならび
下町の3大商店街と称された「八丁堀仲町」。
最盛期には銀座以上の繁華街ともいわれ、
各地から人が集まった。この通りの賑わいは戦前まで続いたそうな。
現在は「鈴らん通り」という。

すずらん通り.jpg

これが江戸時代の繁華街ですが、現在では昔日の面影は
まったくありません。

そこから、亀島川まで引き返すと、
赤穂義士、堀部安兵衛の碑。忠臣蔵でも知られているが、
「京橋水谷町居住とあるが、八丁堀なのだろうか」
とある。八丁堀に住んでたのか定かでない。
地元町会が建立した碑とのこと。

堀部やすべえ.jpg

道路を挟んだ反対側、亀島橋のたもとに、

二人-1.jpg

写楽・伊能忠敬地域歴史説明板がある。

写楽5.jpg

・東洲斎写楽――江戸時代の浮世絵師。
 「写楽は江戸八丁堀に住む阿波藩の能役者の斎藤十郎兵衛(増補浮世絵類考)」

・伊能忠敬―― 近代的日本地図作成の基礎を築いた人。
 深川の隠宅を八丁堀亀島町で没した。

そのすぐ横には「芭蕉の句碑」がある。

芭蕉.jpg
     
    菊の花咲くや石屋の石の間(あひ)

  松尾芭蕉(1644-1694)が八丁堀を詠んだ。


などなど、八丁堀界隈は江戸時代のさまざまな、
いわれ、名所、歴史上の人物が住んでいたが、
現在は、ビル、ビル…。せめて、資料館みたいなのものでも
つくればいいのに。